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伊藤忠兵衛 (初代) : ミニ英和和英辞書
伊藤忠兵衛 (初代)[しょだい いとう ちゅうべえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

伊藤忠兵衛 (初代) : ウィキペディア日本語版
伊藤忠兵衛 (初代)[しょだい いとう ちゅうべえ]

初代 伊藤 忠兵衛 (しょだい いとう ちゅうべえ、天保13年7月2日1842年8月7日) - 1903年明治36年)7月8日)は日本の商人実業家伊藤忠商事丸紅という2つの大手総合商社を創業し、多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した。
==来歴・人物==
初代忠兵衛は、五代目伊藤長兵衛の次男として生まれた。生家は紅長(べんちょう)の屋号で耳付物という繊維品の小売をし、また一、二町の田地を自作する手作りの地主でもあった。伊藤家は、この初代伊藤忠兵衛と兄の六代目伊藤長兵衛が、近江湖東の犬上郡甲良郷八目村(犬上郡豊郷町八目)で安政5年(1858年)5月に近江麻布類の持下り商を開業し、堺や紀州に行商したのにはじまる。伊藤忠も丸紅も、この年を創業年としている。
兄の長兵衛は国元で仕入れに当たり、のちに博多新川端で伊藤長兵衛商店を開業した。弟の忠兵衛は、明治5年(1872年)1月に大阪本町二丁目に呉服・太物店をはじめ紅忠(べんちゅう)と称して、麻布類・尾濃織物・関東織物を取り扱った。この2つが合併・分割を繰り返して現在の伊藤忠・丸紅につながっている。
紅忠は開店と同時に店法を定め、利益三分主義をとった。これは、店の純利益は本家納め・本店積立金・店員配当に分かち、これを 5:3:2 の配分率にして「三つ割銀」といった。店員への配当を割くことによって勤労意欲を喚起したもので、これは伝統的な近江商法に拠ったものである。また忠兵衛は真宗の信仰に厚く、津村別院へ熱心に通い、「商売は菩薩の業」と説きいて多数の人材を育て、財産を分かつことを商売繁盛の本道としていた。
明治18年(1885年)には、甥の外海鉄治郎と組合組織で伊藤外海組を設立し、神戸に事務所をおいて直貿易を始めた。明治26年(1893年)には安土町二丁目で綿糸卸商の伊藤糸店ができて綿糸も取り扱う。明治29年には日東合資会社をつくり、中国綿の輸入と日本綿糸の輸出にあたる。
晩年には郷土の豊郷村の村長も務めた。明治27年(1894年)に兄の長兵衛が死去(61歳)。そして明治36年(1903年)7月8日に忠兵衛は須磨の別邸で死去した。家督は17歳の次男の精一が相続、二代目伊藤忠兵衛を襲名した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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